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アンリエットはいったい誰が好きなのか?

本当は公演中に語りたかったのですが時間が無かったので(友人たちには力説しましたが^^;)
今更ながら語ります(苦笑)

内容はタイトル通り。

私の勝手な解釈。
そして長いです(笑)






この芝居、時系列や言葉遣いの違和感、突然の緑の一張羅(!)などなどツッコミ所が満載で、細かい心理描写まで頭がいかなかったのですが。
最後の最後、それこそ東京の中日を過ぎてから、私の中で「うわあ…っ」と泣けるシーンが出来ました。

それは、アンリエットがエクトール先生に「必ず戻ってきます」と告げるところ。

この直前のシーンは、アンリエットからエクトール先生に対して「忘れません」とサヨナラ仕様だったり、その一方で、エクトールではなくアンリエットの立場がゆみこちゃんにダブったり(新しい道を歩いていくとか)、どうしても芝居の世界に入りづらかったんです。
けれど、ある日、アンリエットの意志を尊重して行かせる決心をしながら、エクトール先生がとても苦しそうだったことがあって。
日によってゆみこちゃんの演技も違っていたし、単に私の感覚の問題だったのかもしれないけれど、ある日のエクトール先生がすごく苦しそうで声も震えがちに見えたんです。

それまではエクトール先生って「物分かりのいい人格者」だと思っていたんですが、この時に考えが変わりました。
従来のエクトールなら、ここで「アンリエット、そんな危険なことは許さない。行くのはやめなさい」と言うタイプだったんじゃないか…と思ったんです。
理屈で考えて「危険なことは止めるべきだ、それが当たり前じゃないか」と理論攻めでアンリエットを引きとめていたんじゃないかと。

それまでのエクトール先生って、基本的に「常識」からハズれたことをしないんですよね。
グラン先生やみうと先生(←?)が内緒で敵兵を治療しているのに、エクトールはしていないんです。
キャラ的にも、2番手の見せ場としても、むしろここは率先してやっていてもおかしくないのに。
あえてこの「敵兵を治療する行為」をエクトールにさせなかった植爺の意図(←あったとして)は、エクトールがそういう「規則違反」を出来ない人というのを表現したかったからじゃないかと。
だって、グラン先生は軍医で(ひとりだけブーツ履いてるし、イタリア兵に敬礼されてますし)軍紀違反なんてしたらかなりマズイ立場なのに、それでも敵兵の治療をしている。
エクトール先生は志願してきた一般人だし、家柄はいいし、軍紀はそれほど関係ないと思われるのにその行為に参加していない。

良くも悪くも常識人なんですよね、エクトールって。
そして何事も「頭」で考えてしまう。
だからアンリエットにもストレートに「オーストリア兵も人間なんだ。許す気持ちになれないのか」と言ってしまう。
理屈で言い聞かせようとするから、アンリエットには感情で反発されてしまう。

かたやデュナンは正反対。
一見理屈で考えているように見えるけれど、実際はそれを超越して「常識」をぶっちぎる。
しかも自分が先頭に立って、まず行動する。
アンリエットがオーストリア兵を憎むことに対しても、同意はしないけれど説教くさいことも言わない。
周囲はそんな彼にいつの間にか引きずられて、心を開いていく。
アンリエットもそのうちのひとり。

ただ…アンリエットがデュナンを愛しているのか?といえば、そうじゃないと思うんです。
かといってエクトール先生を愛しているのか?といえば、これも違う。


『アンリエットはいったい誰が好きなのか?』


私が思うに、アンリエットはまだ「男性を愛すること」を知らないんじゃないかな。
親からの愛や友情は知っていても、男女の愛を知らないんだと思うんです。
みなこちゃんの風貌が大人っぽいから20代前半かなって思っていたけれど、16歳とか17歳なんじゃないかなアンリエットって。

そんな若い女の子が、イケメンで頭が良くて優しいドクターに好意を寄せられたら嬉しくなっちゃうのは当たり前だと思うんです。
傷ましい過去を思いやってくれて、悲惨な戦場で支えてくれて励ましてくれて「いい人だなぁ」と思っているところに、周囲の看護婦仲間から「エクトール先生って素敵よね」とか「いいわね、アンリエット」「あなたは幸せよ」とか言われたら、ますます「そうよね、エクトール先生に愛されてるなんて私幸せなんだわ」と思うのも当然。
だけど、それは「恋に恋する」レベルだったんじゃないかなって思うんです。
あるいは「優しいお兄さん」に対する親愛の情。



で!
そこで、ですよ。

おそらくはこれもデュナンの影響だと思いますが、最後にエクトールは「理屈」や「常識」を超えた判断をするんですね。
それまでは「愛する女は引きとめる」ことこそ常識だったであろうエクトールが、アンリエットの意志を尊重して、彼女の幸せがそこにあると信じて、自分の元から旅立たせることを「決心」する。
「行くがいい」と…
「それも愛なのかもしれない」と…

あのハーベルマン先生の鼻に付く説教は大嫌いでしたけど(まやさんのせいじゃありません、脚本のせいです)それを否定し、跳ねのけたことでエクトールの本当の男らしさ、素晴らしさ、愛情が表現されたんじゃないかと思うんです。
そしてここでアンリエットは初めて、エクトール先生を「男性として」意識し、愛し始めたんじゃないかと思うんです。

だから、この後の「必ず帰ってきます」は、アンリエットの愛の言葉なんだと思うんですよ。
そして「待っているよ」と言うエクトール先生の笑顔に「あぁ良かった、この人の愛は報われたんだなぁ」と嬉しくて私は泣いていたのでした。




わー語ってしまった(笑)
すっきり!
でも、都合良く深読みしていますのであまり細かくつっこまないでくださいね(苦笑)


エクトール先生のもとに戻ったアンリエットが終戦後に一緒にミラノに帰って結婚して、7人くらい子供産んでそう…とか思うと幸せ。

宝塚(舞台の感想) | 【2010-04-30(Fri) 15:31:21】 | Trackback(-) | Comments(-) | [編集]

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