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7DOORS 3/27 14:00

昨日はひろみちゃん、そらちゃん、さゆちゃんがご観劇でした。

楽屋出はいつもより15分ほど遅く…
「すみません、お待たせしちゃって。まゆとなっちゃんと喋ってたら…」
と可愛い言いわけ(^^)

綺麗にお化粧して、眼鏡も帽子もしてなくて、とってもお美しかったです。



※以下、ネタバレ感想です。
※いつも以上に支離滅裂です。
※最後は壊れてます。

お優しい心で読んでください。









5回目のお城訪問は、最初で最後の(←たぶん←まだ追加できるかも?と悩んでます^^;)2階席でした。

石畳のような床の文様や、時空(とき)の間でユディと公爵が対峙する時に浮かび上がる十字架の照明。
泉の色が透明になったり褐色になったり、そして公爵の最期の時にほんの数秒だけ赤く染まるのがよく見えました。

時の流れの中に戻ることが出来た公爵の、まぶしげに光に手を伸ばすお顔も見ることが出来ました。
おそらく公爵は何百年も何千年も“光”を見ることが出来ず、ようやく最期の瞬間にその願いがかなったのでしょう。
力尽きる瞬間まで、憧れた光に手を伸ばして…


でも光があれば闇がある―――



昨日の晩から今日にかけてTwitterで皆さんとお話しさせて頂いたんですが、テーマになっていたのは『私に躓かぬ者は幸いである』の意味するところについて。
これは公爵が言う台詞ですが“私”というのは“神”のこと。

「神に躓かない者は幸いである」

この解釈について、皆さんいろいろ考えていてとても興味深い。
結局“スズカツさんが考えるところの答え”はご本人に直接伺わない限り判らないわけですが。
とりあえず私は
「神に躓かない」とはつまり「神の教えに疑問を持たずに信じる」ということ
と解釈することにしました。
現時点ではね(^^;

この作品は観る度に見えるものが違ってて、自分で納得したはずの解釈が次の瞬間には覆されていることがあるので、ちょっとズルいですが“現時点では”と但し書きを付けさせて頂きます。
きっと千秋楽が過ぎても、あーでもないこーでもないと考えていそうです。



この日、2階席から新たに見えたもの…
公爵の上に降りそそぐ眩い光。

そして、純真無垢だと思っていたユディの、隠されていた闇。


それは3つめの扉の中でした。
“強欲”の罪人が「死ぬまで紙切れを数える」という罰を与えられていると知った時のことです。
ユディの口元に、うっすらとした笑みが浮かんでいたのです。
その後、執事に投げられた紙切れを拾う“強欲”に対して軽蔑の表情を浮かべているのは知っていましたが、まさか笑っているとは…
おそらくユディ自身は気付いていない無意識の表情だったのだと思いますが、だからこそ見ていてゾッとしました。

ユディは決して純真無垢なんかじゃない…

その酷薄な笑みを見たため、他のシーンの解釈も大きく変わりました。
“肉欲”とのダンスも、それまで私は「誘惑に流されながらもユディの純潔は守られた」と考えていたのですが…
(まぁ、贔屓が演じる役として、そんなフシダラなことは考えたくなかった…と言った方がいいかもしれない^^;)
「髪を切られた」ということが暗示するのが「ユディが生娘では無くなった」ということなのかも?と考えると…
それでも次の扉を開くために執事の案内についていくユディは、7つの扉の中を知りたいという欲を優先させるエゴイストだという風に考えられるのです。



公爵の城に来るまでのユディットは、おそらく自分のことを「敬虔な神の下僕」だと信じていたでしょう。
“飢えに泣く妹”とは違い“けんかばかりで他人を羨む弟たち”とも違う。
“自分に手を出そうとした父”とも“怠惰な兄”とも“お金の為に罪人を弁護した弁護士”とも違う。
そんな自分のことを「善人」だと思っていたはずです。

「どうして神様は、罪人をお許しになるのに善人には慈悲をくださらないのか」

この言葉は、ユディが自分を善人だと思っていたことを示しています。
そして、自分が求めている救いを神が与えてくれないことに疑問を感じていた=神に躓いていたのです。

でも「自分は善人なのだから神様は自分の望むとおりに救いを与えてくれるはず」という考えこそが“傲慢”というものなんですね。

そして、弟や妹になぞらえている嫉妬や憤怒、暴食への欲はユディ自身も感じていたもの。
強欲さも肉欲もユディの中にあるものなんですよね。
そして妻を殺したという噂のある公爵に嫁ぐ=神の身許にいける=消極的自殺願望…これは見ようによれば怠惰なのかもしれない。



『私に躓かぬ者は幸いである』

これはつまり、人間とはすべからく躓くものだということなのではないでしょうか。
そして、躓いたうえで、それを自覚し自戒すべきだということなのだろうと思うのです。



ユディが他の3人の妻たちと違ったのは、彼女が“傲慢”だったということじゃない。
彼女が罪人だったということじゃない。
人間は誰だって“傲慢”だし罪人だし、他の妻たちもそれはきっと同じだったのだと思う。

ただ、ユディは最後の最後に、自分が善人じゃ無いことを認めることが出来たんじゃないだろうか。
他の妻たちは最後までそれを認めることが出来なかった。
そこの違いなんじゃないだろうか…

「私は本当に必要とされているんでしょうか?」
この時点ではまだ傲慢なユディ。
でも、公爵の「神がお前を選んだ」の時点で、ユディは自分の罪=傲慢に気付き、その他の罪にも気付いた。
そして“躓いている自分”を認めることが出来たから、躓かない道を見極めることが出来た。
公爵の「私に躓かぬ者は幸いである」というのはつまり、ユディットに対して“神を信じてなすべきことをしろ”ということ。
そしてユディットは神を信じて、彼を解放する。

解放された彼を見て、ユディットは初めて、それまで教会で教わっただけの、自分勝手に信じていただけの“神”の存在を本当に感じることが出来たんじゃないかな。
それがあの穏やかで清らかな、キリストに寄り添うマリア様のような表情に繋がるんじゃないだろうか……






たぶんね←




ちなみに、エンディングの、ユディに良く似た顔の男前な声を出される御方(笑)
あれは、私の中では“観念的なもの”だと解釈しています。
人じゃないし、神でもなくて、単に“人間とは、を語る観念的な存在”です。

ユディはですね、あの後は砂になった公爵(←ドラキュラ的お約束)を涙を流して見つめたあと、気丈に涙を拭いて父さんと兄さんを救いに行きます。
公爵はああ見えて慈悲深いから、ふたりを殺してなんかいないと思うし(←前妻たちを殺したことは忘れてください)
たぶん城の片隅の牢屋かなんかに捕われて「ユディットぉ~助けてくれよぉ~」とか情けないことになってるんだよ、あの父さんと兄さんは。
で、ふたりを連れて牧場に帰ったユディちゃんは、今までのユディちゃんとは違います。
ひとりで苦労を背負ったりなんかしません。
怠惰なふたりに「ちゃんと働きなさいっ!」とビシバシ指導して、部長気質で牧場経営を仕切りまくり、経営手腕を発揮して牧場を広げるの。
んで若いイケメンと結婚して(←もしかしたら肉欲さんに似てるかもしれない)子供バンバン産んで、最後は孫や曾孫に囲まれて大往生!!
そこへ公爵が迎えに来るんだ~

つーれてーいってー♪



すみませんっ!(逃)


水夏希・水ちゃん | 【2012-03-28(Wed) 19:34:26】 | Trackback(-) | Comments(-) | [編集]

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