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カラマーゾフの兄弟 2回目

急遽譲って頂いたチケットで観たのですが、段上がりのセンターブロックというとても観やすい席でした。

センターブロックって音のバランスが良いからセリフが聞き取りやすいんですよね。
初見は下手端で聞き取りづらかったのもあるし、今回2回目というのもあるしで、セリフの意味を色々深く捉えることが出来た気がします。



「神はいない」と断言するイワンに、弟アレクセイは「兄さんにも良心があるでしょう?それが神です」と答える。

神=良心
では、その良心って?

イワンが自分の良心に従ったとき、彼は自分の罪を突き付けられて狂気におかされてしまう。
良心(善人)ぶってミーチャを断罪する民衆は、この親子の破滅を予測しながら内心で楽しんでいた。
イワンの証言を「自分を信じてくれたからだ」と言うミーチャの良心の滑稽さ。
イワンはミーチャを信じてたわけじゃなく、最後まで自分の正当性=良心を保ちたかった故の行動なのに。
カテリーナの「ミーチャをまっとうな人間にしてあげます」という押し付けがましい良心は、最後の最後、自らの手で化けの皮を剥がされる。

良心っていったい?
神っていったい?

そんな混乱を終結させるミーチャ。
「殺そうと思ったことは事実だから」と言って。
でも、理由はそれだけじゃなく、この状況を引き起こしたすべての罪(自分、父親、兄弟、民衆、国、もしかしたら人間全体まで)の大きな流れを感じたんだと思う。

実際に手を下したスメルジャコフ
無意識に唆したイワン
殺意を抱いたミーチャ
彼らの恨みのもとを作ったフョードル
男たちの対立を煽ったグルーシェニカ
彼女の傷を作ったムシャロヴィッチ
神の世界に逃げていたアリョーシャ
自己満足の正義に固執したカテリーナ
見て見ぬ振りをしていたグレゴリーたち使用人
他人の不幸を喜ぶ外野の人々

ミーチャはそれらをすべて受け入れ、自分を通して浄化する道を選んだんだと思う。

でもそれは決して今までのような「衝動」からではなく、もちろん「神が決めた道」でもなく、ミーチャが自ら決めた道だと私は解釈しました。

世間からは罪人とされたミーチャこそが、この瞬間に本当の良心=神を心に宿した。
だからこそ傍らには、同じく罪を自覚したグルーシェニカという天使…マリア様かな…がいるのでしょう。


人間の正しい姿、世界の正しい姿なんて、たぶん答えは無くて(ドストエフスキーさんも答えは出なかったと思う)、良心と欲望の間で揺れ動くのが人間で、永遠のテーマなんだろうけど。
それに私自身「人間はすべて罪を背負っている」なんてことは悟れないし、キリスト教徒じゃないし、神社は好きだけどそれほど信心深くもない(苦笑)

でも今の世の中、何でもかんでも他人や社会のせいにして逆ギレしたり自己中に行動する人が多いので、あらためて「人間の良心」を考えるのはいいことかもしれないな~なんて思ったのでした。



はぁ…
思うままに語ってしまいましたが、自分でも整理できてない部分も多いし判りづらくてすみません。

それにずっとこんなマジに考えて観てるわけじゃないです。
幕開きの主要男役だけのダンスでは
「やっぱ振り付けがジャニーズっぽ~い」
とか思ってヘラヘラしてるし。

「愛してるグルーシェニカ」「もっと言って」「愛してる」がばっ
のとこは水ちゃんの半開きの口に、うぎゃ~!と赤面してるし。
ネ申ラブシーンと認定!(笑)

狂ったイワンを背後から抱き締めるミーチャには
「水ゆみキターーー!」
と裏で萌えてる自分が確かにいますから(^o^;


なんにしろ密度も濃度も高い作品で面白いです。
水ちゃんもカーテンコールで言ってましたが、出演者も客席も熱くなれる空間、というものに幸せと満足を感じた2公演でした。

次は来年1月7日だ~!
宝塚(舞台の感想) | 【2008-12-22(Mon) 17:36:37】 | Trackback:(0) | Comments:(0) | [編集]
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